かえる丸の共働き生活

共働きのこれまでの振り返りと、これから。

なぜ働きたいと思ったか。

私の働く原点は「子供時代」に感じたことと確実にリンクしています。
 
<自分の知らない世界への好奇心>
私は地方の工業都市に生まれて、程よく街と自然とがミックスされた場所で育ったのだけれども、子供時代、世界はちょっとしたことでも美しく、ひろーーく見えた。
 
もちろん工業都市なので、当時はスモッグとか、海が工業廃水で汚染されて赤潮が発生したとか、色々な問題はあったようだけど、子供の目にはそれでも世界は美しく見えたのです。
 
家の近くにある(今はもうない)足神様の神社から見える春の桜と海の景色、近所の山の小道で咲くスミレ、夜に海を挟んで見える対岸のコンビナートの光。
 
子供の私が見える狭い世界だけでも、こんなに美しいんだから、それ以外の世界も美しいに違いない。
もっともっと、自分の知らない世界を知りたい!と思った「好奇心」
 
この好奇心は今でも自分の原動力であるように思います。
 
実際は大人になると世界は矛盾だらけで、綺麗なところばかりではないことに気がつくのだけれども、働くことで、色々な社会の仕組みも見ることになる。
 
働くことで、色々な人とも知り合える。
人の想いも立場も色々なものがあると知る。そこでいろんな発見もある。
 
その好奇心があるから働いている、好奇心を満たすために働き続けている、のだと、改めて子供時代を振り返って思うのです。
 
<自由への憧れ>
好奇心に加えて「自由」への憧れも強い子供でした。
高く飛ぶ鳥を見ては「自由でいいなあ!」と思ったり、子供心に、親の管理から離れ、自分の家を出て、海外を含め、いろんな世界を見て回ることの自由に、ものすごく憧れていた。
 
子供が、女子が「自由」になるためには、何が必要かを考えた。
 
大人になるにつれ、人間社会には「完全な自由」などなくって、「自由」には大人や国民としての「責任や義務」もついてくるんだよね、とか、「自由」は「孤独」ともセットだよね、などもわかってくるのだけれども、それでも一定の「自由」を確保するためにはやっぱり「経済的自立」は重要だよねと、思春期あたりで思い至るわけです。
 
当時は、まだ女性が働くことが珍しい時代背景もあったりして、料理は女性の役割だ!的な教育がなされたわけだけれども(=当時は家庭科は女子だけの必須科目だった!いつの時代やねん!)、そういうことに、当時から、すごくすごく違和感を感じていて、「女性の役割」と言った固定観念からも「自由」でありたかった!
 
行きたいところに行く自由、買いたいものを買う自由、伴侶を経済的観点だけじゃなく選ぶ自由、働く自由、固定観念からも自由になる自由、そういうものを考えた時に、「やっぱりお金って大事だよね!!!」と。
 
「自由」を得るための土台(経済的土台)のために働いている、とも言えます。
 
もちろん働くのも楽じゃない。
 
大変なことも、嫌なこともたくさんある。
 
完全なな自由じゃないし、親としての義務もある。
 
だけど「好奇心」と「自由」のためだ、と思うと、あ、やっぱり私は働くんだ、と。
いつも、なんとなく、そこに戻っていく感じ。それが原点なのかもしれません。
 
だから働いているんですね。。
 
今日は月曜日。良い1日を!