かえる丸の共働き生活

共働きのこれまでの振り返りと、これから。

共働き歴の振り返り:「心折れる期」から「ちょっと安定期」まで

かえる丸の共働き歴、約十数年。もうすぐ二十年か??

色々あったけど、ちょっとまとめてみる。
 
共働初期:DINKS
結婚して、つれあいと2人だけののお気楽生活時代。
自分たちに使える時間も可処分所得が1番多かった、かも。
会話といっても「次の休み、どこ行くー」とか「今日の夜何食べるー」とか、まあ2人だけだし、複雑な役割分担とか、利害関係もなし!の会話でOK。
ご飯だって、残業後、遅くなっても、駅前の居酒屋で待ち合わせて食べたら、それでOK!
海外旅行も行き放題の自由度の高かった時期。
 
孤軍奮闘期:1人目誕生前後
この辺から共働きの難易度が少しずつ上がっていきます。
かえる丸のつわり、お腹が大きくなるに合わせて、無理が効かなくなるし、当時は「妊娠したらキャリアはセーブ」みたいな職場認識の中で、キャリア志向だったかえる丸、かなり「焦る」「もがく」「悩む」。
一方で、「理想のお母さん像」といった自分の中の固定観念にも囚われていた時期。
焦りと迷いの中、なんとか復帰を果たしつつも、子供は気管支が弱く、入退院も含め、病院通いも多く、両立に相当苦労した時期。
一方、つれあいは覚醒せず、呑気なDINKS気分から抜け出していなかった、と思われる時期。(苦笑)
 
心折れる期:2人目妊娠直前
無理は続かない。
数年経つと、だんだん限界を感じるように。
キャリア面では男性社会。残業ができ、夜に飲みに行ける男子だけで物事が決まっていく。(当時はダイバーシティの「ダ」の字もなかった・・・。)頑張っても報われない閉塞感。
家庭面では家事の役割分担が明らかに偏りすぎて、だけど、どうやって変えて良いのか分からず、悶々とする。
つれあい、未だ覚醒せず。
自分の「家事は女性がやるべき!」という固定観念から抜け出せていなかったのも、後から思うと原因の一つだった。
真っ白な灰になりかけた頃、2人目の妊娠で育児休暇に入る。
 
価値観の改革期:2人目の育児休暇から復帰
2人目の育児ということで、子供の扱い方には少し余裕が出たかえる丸。
 
心折れた経験から、育児休暇からの復帰にあたり、下記を密かに心に決める。
1)自分が楽しいと思える働き方をする!
2)それができないなら、組織から離れ、フリーランスになる!
3)自分の思い込み・固定観念を変え、かつ、つれあいの役割も変える!
 
それがよかったのか、悲壮感のあった心折れる期とは違った歯車が回り出す。
自分が変わることで、つれあいも少しずつ覚醒し始める。
あくまで少しずつ・・・。
(覚醒に至るまでの取り組み・対話は書けば長いけど・・・。それはまた今度。)
 
ちょっと安定期:だけど思春期
長い長いつれあいとの対話(喧嘩含む)の成果が少しずつ出始め、家事の分担も少しずつ進化。
 
「楽しむ」ことを仕事の主眼に置いた結果、自分も変わった。その結果、周りも変わった。
「家事をちゃんとやらないと」「女性の役割」という思い込みを捨てた結果、つれあいも変わった。
 
自分が変わると周りも変わる、というのを実感しつつ、子供は思春期に突入しつつある。
DINKS時代よりは、つれあいとの対話の内容は進化したけれど、次はティーンエイジャーとなった子供との対話も進化させる必要がある今現在。
もはや子供に「あれしなさい」「これしなさい」では通用しない。
なんでも助けてあげるのとも違う。
 
これがまた、仕事の若い世代の育成方法ともリンクしているような今日この頃。
この時点で共働き十数年。
 
以上がざっくりした振り返り。
 
泣き笑い含め、色々あった。。。
それも振り返ると働く醍醐味。
かえる丸の共働きは、自分の固定観念を「かえる」歴でもあったのかも。
 
良い1日を!!