かえる丸の共働き生活

共働きのこれまでの振り返りと、これから。

思春期の娘との向き合い方

娘は思春期の真っ只中。。。

大人になる過程というのはわかっても、子供と大人の間を大きく振り子のように揺れている微妙な年齢。

その対応はやっぱりしんどく、、、ある意味、逃げ場の一つとして「没頭できる仕事があってよかった!!!」と思う私。

朝に娘と衝突して嫌なことがあっても、日中の忙しさで、帰ることには忘れてる。

娘もそれは同じなようで、学校行って友達に会うと、朝の出来事も忘れてるかのように、ケロッとして帰宅。

どっちかが鬱々と引きずってたら、尾をひくので、やっぱり「外に出て気分転換」というのはこの時期とても大事ですね。

と言いつつも、私も思春期の子供の対応は初めてで(1人目なんだから、そらそーだ。)、どこまでの距離を取るべきか、どこまでの手出しをするべきか、はっきり言って「わかってない」のが実情。笑

毎日が探りながらですが、親としては初めてでも、私自身、自分が思春期だったことも確実にあるわけで、、、。

ということで、ヒントを探るために、「高校生の時の自分の気持ち」を少し思い出してみることにしました。

(なんと、ほぼ30年前や・・・。びっくり・・・。)

 

1.将来が定まっていないので不安だった

毎日、学校に行って帰る普通の日常の中で、大学進学とか、その後の就職とか、そういうものが自分の人生に控えているのは、何とはなくわかってはいたけど、じゃあ、その中を自分がうまく泳いでいけるのか、困ったことにならないか、そういう漠然とした不安をいつも心の底には抱えていたような気がします。

だけど、その不安を自力で解消するだけの社会経験もないし、大学受験と言っても、当時は目的意識が明確になく、勉強も中途半端にやるだけだったので、良い大学行ける・だから将来安泰だ!と思えるほどでもなかったし・・・。

そういうモヤモヤした中の日常で、高校生の私は漠然とした将来への不安の中にいたような気がします。

 

2.だけど自由になりたかった

だけど、親なしで出かける行動範囲は増え、それがとても楽しい時期でもあったんですよね。

1人で図書館・本屋にいき好きなだけ本を読む、友達と小旅行的に遠くの遊園地に行く、行動範囲は格段に増えた時期だったと思います。

だけど、その行動範囲の広がりの一方で、自分は親のその庇護の下に入っているだけの存在なんだ、というのも、まだ真の自由ではない、という不自由な感じがありましたね。

親に文句は言うけれど、しっかりお弁当作ってもらったり、塾への送り迎えをしてもらったり、ある意味、ぬくぬくと居心地もよかったわけですが、でもこれが本当の自分なのか、自由なのか、という思いもあったような気がします。

 

3.理想と現実の間でもがいていた

結局のところ、親に頼り切っている自分が「現実」な訳で、親に文句はいうものの、親の範疇は出ていない、そのジレンマにもがいて、どうにもならず、イライラしていた、というのもある気がします。

じゃあ、すぐに家を出たいか、というと、将来はまだ定まっておらず、外に出れる状況でもないわけで、、、ある意味、巣立ち前の時期の、お尻についた最後の卵の殻を脱ぎ捨てる「もがき」の時期が思春期だったのかも・・・、と今となっては思います。

 

自分自身を振り返ってみると、確かに娘も高校生になってから「格段に行動範囲が広がった」んですよね。お友達と遊園地に行くし、部活動では遠くに遠征するし、学校帰りにはマクドやスタバに寄って帰ったり。

楽しそうな一方で、将来に関しては、AIに仕事とられる、とか、コロナとか、どうやって生きていくんやーとか、不安はそれなりにある様子。

昔よりも、確実な成功モデル、これやっとけば安心!と言った答えも見えにくくなっている今の時代、そりゃー、将来も不安にならないわけがないよね、とも思うわけです。

 

「不安」と「自由」と「現実」と、彼女なりの答えを見つける期間が、きっと思春期なんだろうと思います。

外に出て、一生懸命に向き合って、大人になる準備をし、夜は巣に帰って子供に戻る。

そういう時期なのかな、と思って、見守る時期なのかもしれませんね。

 

更年期と思春期がかぶってるから、しんどいんですけどね。笑