かえる丸の共働き生活

共働きのこれまでの振り返りと、これから。

来週は出張だ!

来週は一日、泊まりの出張予定があります。

というわけで、早めに家族には週末、頭出し。

旦那と高校生の娘からは

「ふーん、気をつけて行ってきてね。」

「帰りに焼売弁当よろしく。」

家族分、崎陽軒の焼売弁当を買ってくるって、結構重いんだぞー!!と思いながらも、平日1日分の夕食がお弁当で良いのはGood!!

頼まれなくても、頑張って買って帰りますよ。

 

一方、小学生の弟からは「えーーー!ママ、出張いっちゃうの!いつ?」と、後ろ髪引かれる反応。

「ママは一家のカナメなのに、いないなんて、どうなるんだよー。」と。

可愛いなー。

いつまで言ってくれるのかなー。笑

たった一日なんだけどねー。

まあ、普段から高校生女子の姉に鍛えられている小学生弟は、口がうまいから、ママにも上手に言えますね。

いないなら、いないで、さっと気持ちを切り替えてお気楽にやってそうなのも、まあ想像ができます。

 

来週は久しぶりの一泊出張。

家を開けるのも心配だけど、出張先で久しぶりに会える人たちもいる。

私も家族も久しぶり。

焼売弁当も久しぶり。

 

お仕事、そして人に会うのを、楽しんでこようと思います。

 

家事分担:「自分がやらない範囲」をあえて決めることが重要

十数年の共働き夫婦のかえる丸。

最初は夫とは全く家事分担ができなかったけれど、長い長い年月をかけて、夫の家事参加もずいぶん促進されました。

この家事分担のスタイルにも、色々なパターンが家庭ごとにあるようです。

 

例えば、我が家は「自分の好きなこと・得意なことを分担する」パターン。

私はスケジュール管理とか、全体バランスを見たり、季節ごとの整え、家計・財務、あと子供関係の教育・部活・必要物資(服の買い替えなど)をやるのは比較的、好きな方。

自分から、ストレスなく、すんなりできるわけです。

一方で、私は料理が苦手。作るのは好きじゃない。(食べるのは好きだけど・・・。)

最初の10年ぐらいはそれでも頑張っていたのですが、自分の中では「料理はこれが限界」という臨界点に来てしまいました。

元々、それほど得意じゃないから、より辛くなるわけで・・・。

もう離婚覚悟の真剣さで「これからは夫が料理を担当してくれないなら、もう無理だ!!!」という話し合いと試行錯誤を経て、料理担当は、食材の買い出しも含めて、基本「夫」に。

ここでお互いも新発見だったのですが、実は、夫は私よりも料理に向いていた、という事実。。

そして夫は、スーパーに行くのも、食材を見るのも、実は好きだった。

もちろん最初から上手くいったわけではないし、とんでもない料理が出てきたりもしたけれど・・・。

長い目で見ると、夫にとっても「比較的、好きな方をやる」の家事分担というのは、我が家にはしっくりきた役割分担だったようです。

 

一方で、別の分け方をしている家もあるようです。すなわち「緊急度が高いか否か」。(へー!!!)

例えば、平日の子供の食事なんかは「待ったなし」だから、スピード感を持って作る技量のある方(妻)が担当。

だけど、電球や家庭用品の買い出し、季節のイベントの準備、週末の料理などなどの「緊急度が低いこと」は基本、夫が担当している、とのこと。

 

分担も共働き夫婦の数に応じて色々あるんですね。

 

でもそこで共通していると思うのは、相手の分担を決めたからには「自分は手を出さない」「口を出さない」ということ。

先回りしてやっちゃうと、そこに甘えが出るわけです。

食材の調達にしても、夫が考えて、夫が調理するから、責任範囲が明確になるわけで・・・。

例えば「あれがない!」となった時も、なんとか工夫するのは夫。

そこに口を出して、手を出してしまうと、やっぱり分担は進まない。

 

緊急度で分けているご夫婦も同じようで、「電球が切れていても自分の範囲じゃないから、あえてやらない。」。「文句も言わない」とのこと。

 

もちろん全く手を出さなくなると、出張時とか、風邪の時はお互い困るので、そこまで厳密にすることはできないけど、平常時は基本の役割分担に従って「あえて手を出さない」というのはお互いに大事なんでしょうね。

 

これからも良いやり方を見つけていきたいです。

 

 

あっという間の新年度&新学期

ここ2 −3週間の記憶があまりないのは、、、やっぱり、忙しかったから。

新年度に向かって、仕事では担当者が変わったり、お客さんサイドにも色々な変化があったり。(最近は転職のご挨拶も増えましたね。)

そしてプライベートでは、子供たちの春休みと進級!!

これがなかなか大変で。。

普段とスケジュールも、給食やお弁当の用意も変わるので、毎日がなんとなく気が抜けない3月末から4月初旬。

年末年始と違うのが、子供たちは休みでも、大人は休みじゃないんですよね・・・。

だから、春休みが終わった今になって、大人サイドは「あー、なんか疲れた。」となるわけです。。

で、進級・春休みに起こった、色々なこと。

 

1.息子が3年生3学期の宿題をやっていなかったので、春休みに提出しに行く羽目に。

ええ、、私も悪いんです。

ちゃんと管理してなかったから。

だけど、3学期分の計算ドリル、、、そもそも息子も、学校に忘れたり、学童に忘れたり、たまに持って帰ったと思ったら、書き込むノートを忘れたり。

どうやって家で宿題させろっちゅーねん。

というわけで、春休みはドリル・ドリル・ドリル、、そして親による丸つけ・・・。

先生に提出しに行き「どうもすみませんでした・・・。」

ということで4年生の目標は、「ちゃんと宿題と家に持って、ちゃんと宿題やろうね。」

 

2.息子が終業式の日に荷物を持って帰れず、取りに行くと、物凄い量だった件

終業式前から、少しずつ、学校にある荷物を持って帰りますよね・・・。

フツーは。

「持って帰らなくっていいの?」と聞くと「うん!先生がいいって言ってた!!」と元気良いご回答。

ほ、ほんまかいな・・・、と思って、終業式の日に先生に電話してみると

「そんなことは言ってないんですよー。ちゃんと聞いてないですねー。」と先生も苦笑い。

慌てた息子は、当然のように、終業式の日だけで荷物は持って帰れるわけもなく、大量の荷物をとりあえず学童に避難させる裏技に・・・。

おいおい・・・。

学童さんだって、新年度の準備もあるわけで、親が出動する羽目に。

工作や、絵の具、書道道具、お道具箱などなど、、大きな袋に3つ分。

そして、クシャクシャになったプリントたち。。。

み、見てないのがいっぱい・・・。

ということで4年生の目標は「プリントを丸めない。荷物は持って帰ろうね。」

 

3.長袖が毎日なくなる件

毎日、暖かくなるから、遊んでると暑くなるんでしょうね。

朝、長袖で出かけた息子は、半袖で帰ってくる。

「長袖は?」と聞くと、「あれ?ない・・・。」

おいおい・・・、どこに忘れてきたんや、、、と言って、探す羽目に。

毎日、毎日、長袖がなくなるのは勘弁してくれー。

ということで、4年生の目標は「持ち物をなくさないでね。物が泣いてるよ。」

 

4.お姉ちゃん、初めての東京に行く件

高校生のお姉ちゃんは、まあまあ平和と思いきや、「春休み、お友達だけでディスニーランドに行きたい!」

そ、そうか、そんな年齢になったのね、と感慨深く思いつつも、これがまた親子の意見を合わせるのが大変で・・・。

予算、ルート、泊まりはOKか、日帰りか。

お互いの親とのやりとりや、準備、費用の精算などなど。

これはこれで、自由にやりたい子供と、親の心配・価値観との調整でもあるから、それなりに神経使うわけです。

可愛い子には旅をさせろ、と言いますが、親子ともども良い経験にはなりました

 

そんなこんなで、気がついたら、春休みが終わり。

進級して元気に学校行く子供たち。

息子には労力使い、お姉ちゃんには神経使い、残るは、なんか疲れの抜けないアラフィフ共働き夫婦、という構図なのでした。。。

 

 

息子のおたふく風邪かと思いきや、違った。その原因は(笑)

これも保育所時代の思い出。

仕事をしていると、保育所から電話が。

「息子さん、ほっぺが痛い、と言ってます。おたふく風邪かもしれないから、すぐに迎えをお願いします!」

えええーー。。朝は元気そうだったよ。

予防接種も受けてたのに、、かかるんだ、と思いながら迎えに。

帰り道に病院の予約をしようとして、木曜日!なので、小児科も閉まってるところ多い!!

急いで木曜日に空いている小児科を探し、予約し、という手配をしつつ、、迎えにいくと・・・。

保健室で待っている息子は、どー見ても元気いっぱい。

熱もない。

だけど、ほっぺが痛いという。

ほんまに病気かいな、と思いながら、小児科受診。

今でも憶えてる優しい熊さんみたいな大きな先生が、息子の痛い、というところを触りながら、

「うーん、これは痛いのは、ほっぺじゃなくって、、、顎ですねえ。」と。

アゴ!顎ですか!

「何か固いものでも食べさせましたか?」

固いもの!

えーっと、何か昨日、食べてたっけ??

焦りながら思い出す。せんべいとか???

食べさせてナイナイ。

あ!!!!

ハードグミを食べてた。しかも、気がついたら一袋食べてた!!!

「あー、それですね。ハードグミの食べ過ぎで、顎が痛くなったんですね。すぐに治りますよ。笑」

 

・・・・。

脱力・・・。

その時、本当に脱力しました。

 

仕事のやりくりを必死でつけて、必死で早帰りして、病院見つけて・・・、グミの食べ過ぎでの「おたふく疑惑」。

これから、何日間か保育所を休まさないといけないかも!、仕事どうする!と思いながらの、緊張感持っての受診だっただけに、

おたふくじゃなかったのは幸いだけど、その原因がグミとは。。。

 

こんなこともあるんだなー、と。

 

夕方、息子と歩いて帰りながら、ホッとした気持ちと、妙におかしかったのを憶えています。

ちなみに9歳になった息子は、今もグミ好きです。

 

保育所に入った時のこと:娘のギャン泣き

春ですね。

この時期になると、もう十数年前の保育所の入園のことを、思い出します。

特に1人目の娘の時。

まだ今よりも共働きが一般的ではなかったので、0歳児枠での4月入園も、私の娘ともう1人の2人だけだったなー、みたいな。

当時、娘を預けて復帰することに、若干の罪悪感も感じつつ、だったのですが、

保育所の先生方の明るい姿勢や、応援してるからね!といったいった雰囲気で

ずいぶんと心が救われたのを覚えています。

とは言いながら、登園の初日に、娘を預けていくのが、辛くて辛くて・・・。

娘も「ぎゃー!!!」とこの世の終わりか、というくらい、大泣きするし・・・。

娘を抱っこしている保育所の先生が「気にせず行ってくださいねー。」という言葉に従い、

「ママ、行ってくるね!」と勇気を振り絞って「行ってきます!」とバイバイ。

 

当時の0歳児の部屋は、保育所の廊下を曲がった奥の突き当たりにあったのですが・・・。

 

私が「行ってきます」と廊下の角を曲がった瞬間に、

ギャン泣きしていた娘がの泣き声が、ピタッと泣き止んだんですよね。

ピタッと・・・。

保育所の先生たちが笑って、「いやー、この子、ママの前での、行くなの演技がうまいわ!」

「見えなくなったら、ピタッとやめて、省エネやねえ!」

と笑いながら接してくれているのが聞こえてくるわけです。

赤ちゃんながらの娘の別の一面を見た、というか、それで、気持ちが楽になったのも良い思い出です。

保育所に預けた時も、子供なりに気持ちを切り替えて、プロの保育士さんと一緒に過ごすんだな、と。

私も切り替えて集中だ!(親の方が後ろ髪引かれて、なかなかできないけど・・・。)

そんな感じですかね。

 

それから約11年間、娘と息子の保育所に通いました。

もちろん親が見えなくなっても、しばらく泣いて周囲にもアピールしている根性入った赤ちゃんもいるし、すぐ泣き止んでる子もいる。

だけど、卒園まで泣き続ける子はいない訳です。笑

赤ちゃんなりに、社会に入る第一歩。

泣いてみせるのも、社会を渡っていく芸当だ!ぐらいに思って構えるのが良いかもしれませんね。

と、肩に力の入っていた当時の自分に言ってあげたい感じです。笑

 

色々な手段を持っておくことは、とても重要

円安が進んでいますね。。。

原油高だし、これから食料品の値段も確実に上がっていくと思われます。

そんな中、先日、インターネットで確定申告をやろうとしたら、国税局のサイトでも繋がらないトラブルが。。

(私は期限ギリギリで追い詰められないとやらないタイプ・・・。きっとそういう人が集中したんだろうな。)

タイでも、ロシア・ウクライナの方が、帰国できずに多くが現地に留まっているようで、飛行機チケット買おうにも、クレジットカードの決済ができない、と。。。

自動車メーカーもサイバー攻撃を受けて、工場停止にもなったようですね。

 

思うのは、世界が複雑に絡み合っている割には、みんな意外と「インターネット」や「食べる物」は「グローバルで共通化」してきていて、何かあったときに、一斉に影響をこうむるんだな、ということ。

 

インターネットが使えない=だから、確定申告が送れない、情報が得られない、生産活動が止まる。

決済システムが止まる=カードが使えない、現金がおろせない、身動き取れない。お金あるのに使えないなんて、「ない」のと一緒じゃんか!

食料品の物価が上がる=大量生産、グローバル共通の加工品に一斉に影響が出る、などなど。

 

確定申告は結局、紙で印刷して、てくてく歩いて提出しにいきましたが、そういう「手作業」「マニュアル」と言った昔ながらのやり方を維持していることも大事なんじゃないか、と思います。

食料品なんか、特にそうで、海外の共通の工程で大量生産された安価なものだけに頼っていると、本当に良くないことになる。

地産地消の丁寧に作られた食品が売れなくなって、食料自給率は低下し、より、そういう大量生産・安価なものに依存していくサイクルが出来上がる。

そのサイクルが出来上がった後に、原油高とか、円安とかで、値上がりした時にはもう遅い。

もっと極端にいうと、食糧危機になった時は、各国はまず自国の食糧確保が最優先だから、日本には回ってこない。

お金あるのに買えないなら、ないのと一緒じゃん!

(さらにいうなら、円安の結果、お金も無くなっていくかも。)

そうなってから食料調達を国として考えるのでは、やっぱり遅い。

 

だから、国家としては食料自給率を上げることに加えて、個人レベルでは、やっぱり地域で生産されたものを、輸入品より高くても適正価格で購入する、そして生産者と消費者のローカルなつながりを健全に育てておくって、本当に大事なんじゃないか、と。

それは正しいお金の使い方のように思います。

 

ニワトリなんかも、庭があれば飼っても良いんだと思うのですよね。

卵を産んでくれるし、ありがたくお肉(命)を食すこともできる。

もちろん都市部で「コケコッコー!!」とか鳴かれると「うるさい!」とか言われるのだろうけど、ちょっと昔なんて、飼ってる家庭も多かったんじゃないかと。

卵とお米、たまのお肉があれば、なんとかなるはず。

 

そういう、大量生産・市場からの購入といった手段だけではなく、地域・ローカル・国内・手作業、自家生産といったいろんな手段を、日頃から考えておく、実践しておくことって、実は大事なんだろうな、と思った次第です。

 

それにしても、世界の問題を考える際でも、すぐに食べ物の話になるのは、私が食べるの好きだからでしょうか・・・。

これ書いてたら、お腹すいたな!!!

 

「いつまでもこのままだったらいいのになー」

「いつまでも、このままだったら、いいのになー」とお風呂に入りながらの息子の一言。

「いつまでも、いつまでも小学生で、いつまでもパパとママとお姉ちゃんと住んで、ずーっとママがおばあちゃんにならなければいいのに。」

 

ふむふむ。

今の生活が楽しいんだね。それは良いことだわ。

と思いつつ、息子なりに、人間の生は限られている、ということがわかってるんだね、とも。

 

そう。

君はどんどん大きくなっていくし、どんどん色んなことができるようになる。

外の世界を見て、いろんな悲しみや悩みや挫折も知って、だからこそ、人生の喜びや楽しみの味わい方も深くなる。

ママはお婆ちゃんになって年老いていくだろうし、その時には、もう一緒に住んで居ないかもしれない。

いつまでもこのままではないんだよ。

 

だけど、それは悪いことじゃない。

人生には限りがあり、だからこそ、今この時を大事に過ごして、人間は生きていく。

この一瞬がずっと続くわけではない、ということがわかっているから、この刹那的な毎日も、輝くものとして感じるんだよ。

 

ママとお風呂に入って、あったまって、ほっこりした幸せを感じるこの一瞬も、

永遠に繰り返せるわけではないけれど、思い出として永遠に君の心の中に残るはず。

その記憶が大人になってからの生きる糧になる。

記憶が永遠だとしたら、君には自分の子供時代の「ママ」のことを覚えていてほしいな。

ママが、君をどれだけ可愛がって、愛したか。

 

メメント・モリ。常に死を思え。

人生は限られている。

だから毎日を大事に生きようね。

ママも大事に生きるよ。

 

息子の一言から、いろいろと考えてしまいました。