かえる丸の共働き生活

共働きのこれまでの振り返りと、これから。

相対評価の呪縛から逃れたい・逃れる方法について考えてみた

相対評価、、、他の人との比較によって成績や順位を決めていく評価方法、これは人間社会において、なかなかに私達を苦しめる基準ですよね。。

学生時代はテストの点数で成績が決まり、会社に入ると人事評価でランクがつけられ、、、何度、この相対評価から逃れたい、と思ったかわかりません。

昔も今もこの相対評価は自分を苦しめているのですが、なぜ嫌か。

これって「人が自分の立ち位置や順序を決める」んですよね。

だから、自分にはあまり決定権がない。

もちろん成績だったら、頑張れば良いのだろうけど、その頑張りの程度とかって目に見えるわけでもなく、かつ、自分なり頑張った、と思っても、そこは関係なく「はい、あなたの位置はこれー。」みたいな感じで、比べられるわけで。

結局、1位の人しか幸せにならないじゃん!と思うんですよね。

で、1位の人でも、では次も1位になれるか、転落したら、、、みたいな感じで別の不安が生まれてきたりして。。。

社長になったとしても、株主・投資家からあーだこーだ言われて、これも一種の相対評価

こうやって人間社会は、どんどん競争や利益を煽って、ハムスターのように走り続けるようにもなっている。

そういう裏事情も感じるから、嫌なんですよね。「もっと頑張れ」的な。

もう十分頑張ってる、ちゅーねん。

 

一応、入学枠とか、会社でもお給料の原資が決まってるから、その配分については順位や序列をつけないと、社会的には物事が決められない、というのはわかるのですが、そうなると、いかに「相対評価」からくる精神的な不快感や不安感、人と比べられてイヤーな感じになるところと「どう上手く付き合うか」というのが、人生においても大事なスキルになるような気がします。

会社辞めたら、この相対評価から自由になれるのか、というと、そんなことはなく、もし無意識に人と比べてしまう自分がいたとしたら、それはきっとエンドレスな呪縛なのかもしれません。(ママ友同士の比較とか。。。)

 

どうやって「相対評価」とうまく付き合うか。

まだ私も答えはないのですが、まずは常に自分の中で「絶対評価」の軸を持つことは、一つの解決策かもしれない、とは思います。

すなわち、「他人」と比べるのではなく「去年の自分」と比べる。

去年の自分と比べて、ここが頑張れてる、ここはよくなっている、とか、そういう視点を持つと、ふっと気が楽になることがある。

あ!自分って頑張ってるじゃん、とか。

もちろん、その頑張りは人には見えない軽微なものだったりするのですが、過去・現在・未来の自分を軸にした、過去の自分と比較しての、今の自分。

もちろん進化する必要もなく、変わらない、というのも軸かもしれないし、頑張りすぎてた自分をもっとリラックスさせる目標を立てて、実際にスローペースにできてる、というのも軸だと思う。

そこに他人が入る余地はなく、あくまで働く軸・勉強する軸の中心に「自分」はどうしたいか、というのをセットする。

そうすると、いろいろな相対評価の指標に惑わされすぎず、心をとられすぎず、自分がフォーカスしていることに集中しやすくなるんじゃないかな、と。

 

そういう意識を常に自分に思い起こしておかないと、あっという間に「相対評価」の渦に巻き込まれるからこそ、ちゃんと絶対指標を自分の中にセットする。

このスキルをもっと身につけて、心を平穏にして過ごしたいものです・・・。

そうじゃないと、360度評価とか、人事評価とか、ほーんとアセスメントされるばっかりで、やってらんないよー、と思いますね。

本当にそういう相対評価の人事評価スタイルが人のモチベーションを引き出しているのか、もう少し考えてみたいところです。